なぜか、特定の人の言動だけが心に残るとき
一日の終わり、ふとした瞬間に思い出すのは、楽しかった出来事よりも、誰かの嫌な一言だったりします。
- 職場での何気ない言い回し
- 家族の無神経な態度
- SNSで目にした、刺さるコメント
その場ではやり過ごしたつもりでも、心のどこかに引っかかって、あとからじわじわと効いてくる。
もう終わったはずなのに、頭の中では何度も再生されてしまう。
不思議なのは、その「嫌な人」本人は、こちらが悩んでいることなど知らずに、いつも通り過ごしていることです。
こちらだけが心を消耗しているような、不公平な感じ。
「どうして私ばかり、こんなに気にしてしまうんだろう」と、さらに自分を責めてしまうこともあります。
気にしすぎているのではなく、近づきすぎているだけかもしれない
「気にしないようにしよう」と思えば思うほど、余計に意識してしまう。
そんな経験は、多くの人にあると思います。
ここで少し視点を変えてみると、問題は「気にしすぎていること」ではなく、心の距離が、少し近くなりすぎているだけなのかもしれません。
相手の言葉を、自分の価値と結びつけて受け取ってしまう。
相手の不機嫌を、自分の責任のように感じてしまう。
そうしているうちに、本来なら入れなくていいものまで、心の中に招き入れてしまいます。
誰かの感情や態度は、本来、その人の持ち物です。
けれど距離が近いと、それが自分のもののように感じられてしまう。
だから、必要以上に疲れてしまうのです。
「うまくやろう」とするほど、疲れてしまう理由
人間関係がつらくなるとき、多くの場合、
「ちゃんと対応しなきゃ」
「大人としてうまくやらなきゃ」
そんな思いが背景にあります。
嫌な人に対しても、できるだけ角が立たないように。
波風を立てないように。
自分さえ我慢すればいい、と考えてしまう。
けれど、そうやって自分の感情を後回しにし続けると、心の中に処理されないものが溜まっていきます。
表面上は穏やかでも、内側ではずっと緊張している。
その状態が続けば、ちょっとした一言にも大きく揺さぶられてしまうのは、無理もないことです。
「強くなる」ことよりも、「無理に受け取らない」こと。
そのほうが、心はずっと楽になります。
自分の機嫌を、他人に委ねないという選択
誰かの態度ひとつで、気分が大きく左右される。
それは、自分の機嫌のハンドルを、知らないうちに他人に預けてしまっている状態とも言えます。
もちろん、嫌なことを言われたら、傷つくのは自然な反応です。
イラッとしたり、落ち込んだりする自分を、責める必要はありません。
ただ、その感情を
「ずっと持ち続けるかどうか」
「何度も反芻するかどうか」
そこには、ほんの少し選択の余地があります。
相手の言葉を、心の中に置き続けるのか。
それとも、「これは私のものではない」と線を引くのか。
自分の機嫌を守るというのは、誰かを遠ざけることではなく、自分の内側に、入れていいものを選ぶことなのだと思います。
この感覚を書き留めておきたいと思った理由
拙著『嫌な人に心を乱されない技術:嫌な人に振り回されず、自分の機嫌を守るための5つの習慣』の中で私は、「嫌な人をどうにかする方法」ではなく、「自分の心の距離をどう整えるか」という視点を大切にしました。
- 相手を変えようとしなくていい
- 無理に理解しようとしなくていい
ただ、自分の心を守るための、シンプルな考え方や習慣を、日常の中でどう使っていくか。
あとから残るモヤモヤや、思い出しイライラの正体についても、この本の中で、もう少し言葉にしています。
もし今、「誰かのことで、心がざわつく時間が多いな」と感じていたら、この本が、ひと息つくきっかけになればうれしいです。
心が乱れたとき、戻ってこられる場所を持つ
人と関わって生きている以上、嫌な思いをまったくしない、ということは難しいと思います。
大切なのは、乱れないことではなく、乱れても、戻ってこられること。
自分の機嫌を、自分で取り戻せる場所を、心の中にひとつ持っておくこと。
その感覚を忘れそうになったとき、思い出すための言葉として、この本を使ってもらえたら、ちょうどいい距離感かもしれません。

